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「アメリカは、文化財保護のため京都を爆撃しなかった。」
敵国のことを、そこまで考えるアメリカにその部分では好印象を持っていました。
たった 今まで。
しかし、今のその洗脳が解けました。
以下を読んで…
日本の古都はなぜ空襲を免れたか?
http://dewanokuni.hp.infoseek.co.jp/Review27.htm
京都が原爆投下の対象都市であるために空襲を免れたと言う指摘である。これにはショックを受けた。このことについては、原爆開発投下の現場責任者のレス
リー・グローブ少将の資料からも明らかで、京都が原爆の破壊力を内外に誇示しうる威力の測定に必要な市街地の広さを持つ点で格好の都市であるとしている。
つまり、原爆実験の場として空襲による被害を抑え、原爆投下で、その威力の誇示し、正確な効果の測定を行おうとしたわけである。
奈良、鎌倉にしても、文化財保護を考慮して空襲が少なかったのではなく、アメリカが人口、住宅密集地、軍需工場を検討し空襲の順番を決め、たまたま、その
順番がこなないうちに敗戦を迎えたということらしい。ところが、戦後、このような古都が空襲を免れたのは、アメリカが戦時中、日本や中国の文化財を調査し
た委員会(ロバーツ委員会)でのウォーナー博士の尽力の賜物であるという話が流布されることになる。
所謂「ウォーナー伝説」と呼ばれるものである。これによってウォナー博士は古都を守った恩人としてあちこちの銅像がたつことになる。著者の吉田氏はこのことに対しても疑問を寄せている。いやこの疑問から出発したのである。
ロバーツ委員会は文化財リストは作ったがそれを保護するためではなく、略奪したものを返還させるため(特にナチス)と言われている。たまたま、日本の文化
財リストを作ったのがウォーナー博士だったわけである。吉田氏によると、これはアメリカが日本の文化財を守ったというアメリカCIE(民間情報教育局)の
うまみな「ウォーナ賛美」の演出ではなかったのかと見ているようである。
アメリカは3発目の原爆投下8月24日ころ計画していたという。それが陸軍長官の反対を無視して京都投下を温存していた軍人達がおり、京都は空襲禁止の状態が続いていたため、無傷の状態で終わったようである。
WGIP、今も生き続けるGHQの宣伝計画(2)
http://k-mokuson.at.webry.info/200508/article_3.html
戦後の日本にウォーナー恩人説を広めたのは、1945年11月11日の 『朝日新聞』 が
「京都・奈良無疵の裏、作戦国境を越えて、人類の宝を守る、米軍の陰に日本美術通」
といった見出しの記事で、美術研究家矢代幸雄の談話を添えてウォーナーの功績をたたえたことが大きいだろう。
また、さきの新聞記事には
「現在マックァーサー司令部の文教部長たるへンダーソン中佐が日本に進駐してはじめてウォーナー氏の並々ならぬ努力の秘話が伝えられたのである」
と書かれている。 吉田守男氏は、この辺の事情についても詳細に調べて次のよ うに結論した。
戦後日本を占領したアメリカは、軍国主義を否定するとともに親米的な感情を作り出さねばならなかった。
そのために、民間情報教育局(CIE)の対日活動の一環として意図的に作り出されたのがこのウォーナー伝説である、と。
これらから結論出来るのは、
自分が常識と思ってることが、誰かが意図的に
作り出した情報によって操作された可能性があるということです。
つい2,3日前まで、信じてましたからね。
京都を爆撃しなかったのは、アメリカが文化財保護のためにそうしたと。
そして今のその「敵国に対して理性あるアメリカ」という情報操作から
解放されたわけです。
WGIPに関してはサヨクから
「たった7年で洗脳されるわけがない。日本人はそんなにおろかなのか?」
といわれます。
確かにそうかもしれない。
しかし、WGIPは、7年間だけの情報操作というより、
戦後の教育・報道がその7年間に残したものが基盤になり、行われてきた。
60年間それを踏襲し続けた結果、それが常識となってしまった結果だと思います。
私自身が、今まで何も知らずに「太平洋戦争」という言葉を使い、
「文化財保護のために京都を爆撃しなかった」と信じていたということで
それを実感させられました。"
— 国家の存亡を握る情報戦:WGIPの影響 - livedoor Blog(ブログ)
2010-10-16
(via
golhan)
(出典: carbondoubt、mogami29から)
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俺:と、まぁ最初なんでとりあえずクロスバイクで、後々ドロハン着いた自転車に乗りたいなーとか思ってます。
店:少しでもドロハンに乗りたいという気持ちがあるなら最初からロードに行った方が後々後悔しないかも?
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— ヨーヨーヨー もうロードバイクでいいんじゃないの?
"ファンの間では賛否両論らしい「タバコのジャケット」ですが同年発売された「岡崎友紀写真集」(撮影:野村誠一氏 愛宕書房刊)からのもの。(略)この写真集、中に友紀さんの書いた歌詞が(A2、A5、B1、B5、A4、B3)が掲載され、写真集とこのアルバムが「クロスイメージ」で製作された画期的なものでした。
当時は映画のサントラ盤に対する写真集のレコードということで「マガジン・トラック盤」と読んだと写真集に記載されており、巻末にはアルバムの広告が入っていて「見ているだけじゃものたりない。クロスイメージでYUKIをキャッチ!」「レコードを聴きながらページを捲れ」とありました。"
— SO MANY FRIENDS
1981年11月28日発売
"木こりがタイプだと発言しており、「妙な魅力を感じる。 木こりはまさに私の求めてる男です。 木こりは体力もあり緻密な計算の元に木を倒すわけです。技術も必要で、自然に立ち向かいながらも自然を崇拝してるわけです。 私は緻密な計算の元に木こりに押し倒されたい!」と語っている"
— 杉本彩 - Wikipedia
"例えば学費が払えない、奨学金も取れなかった苦学生がいるとして、彼らに対して「私生活をライフログに残せば(そしてそのログを自由に使う権利を渡せば)学費を払う」というサービスが始まったとしましょう。つまり問題がビジネス化され、プライバシーが換金可能な商品となったわけです。ある人はこの状況に対して、バカな学生に楽をさせ、大学の価値を損なうものだとして憤るかもしれません。しかしこのサービスは学生たちに新たな道をひらくものだとして、歓迎する人もいるでしょう。どちらの意見が正しいかを決めるのは価値観であり、「大学/大学生とはどんな存在であるべきか」まで突き詰めなければ答えは出ません。
しかしこのサービスが世に出てしまったとしたら、その時点で世界は一変してしまいます。大学生のプライバシーは商品となり、先ほどのバイアティカルのように、「売らない」という選択肢を選んだ苦学生に対して「自己犠牲が足りない」と批判する意見が出てくるかもしれません。逆に学生自身がプライバシーを商品だと意識して、報奨金の出ないリサーチには参加しないという動きが出てくることも考えられるでしょう。そうなれば後戻りはできません。
本書にはそんな、世界を変えてしまったビジネスモデルがいくつも登場します。なってしまったものは仕方がないとして、それを考え、世にもたらした当事者は「世界を変えること」に対する覚悟を持っていたのでしょうか。「世界を変えるサービスをつくる」という言葉を口にするビジネスパーソンを時折目にしますが、彼らがその重さや責任を十分に理解しており、軽々しく行動しているのではないことを願うばかりです。"
— 【書評】サンデル教授の新刊『それをお金で買いますか』(小林啓倫) - BLOGOS(ブロゴス)
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バレットタイム(英語: Bullet-time[1])はSFXの一つで、被写体の周囲にカメラをたくさん並べて、アングルを動かしたい方向にそれぞれのカメラを順番に連続撮影していき、被写体の動きはスローモーションで見えるが、カメラワークは高速で移動する映像を撮影する技術、またはその効果を指す。タイムスライス、マシンガン撮影 ともいう。
(略)
マトリックスの登場以前、セルアニメにおいてはバレットタイムに類似した表現技法は古くから存在していた。その最も早期の事例とされているのが1967年のマッハGoGoGoであり、そのオープニング映像においては、主人公がマッハ号から飛び降りた姿勢で静止し、正面から真横に向けてカメラアングルが移動するシーンが描かれている。
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バレットタイム - Wikipedia
http://www.youtube.com/watch?v=cPR45cBkRq4#t=1m48s
"プレゼンの代わりにストーリーを語る
・講演の一枚目のスライドに小さな子供が絵本を持っている写真を使っている
・それに合わせて今から物語を語りますというと皆身を乗り出してくる
・研究したデータをお見せしますというと関心を持たれない
・みんなストーリーを聞きたがっている"
— 【TV】スタンフォード白熱教室#5「30分で新製品を作る」 | Key is 9 (商品企画事例の紹介、ヒット商品や商品レビューや商品企画関連記事など)
" 本の虫を自認していたはずの著者は、自分が本に集中できなくなっていることを発見する。十五歳の息子が、『グレート・ギャツビー』について話したのがきっかけだ。フィッツジェラルドのこの小説を、息子は学校の授業で読んでいた。
「文学はもう死んでるね」という息子に反論すべく、著者は『グレート・ギャツビー』を再読しようとする。だが読めない! 本に集中できないのだ。兆候は以前からあった。メールをチェックしたり、ネットサーフィンしてからでないと本を読まなくなったし、少し読んで一段落するとまたパソコンの前に戻ってしまう。
文芸ジャーナリストであり、大学院で創作文芸を教える著者にとっては危機的なことである。しかし、そうではない一般の人にとってはどうか?
情報の収集がネットでじゅうぶん事足りているなら、それでいいじゃないか。本じゃなくても、面白いものは世の中にたくさんあるではないか。そもそもなぜぼくたちは本を読むのか。著者は少年時代からの読書体験を振り返り、電子書籍などにも触れながら考える。
読書ってなんだ?
やがて『グレート・ギャツビー』を再読しながら、著者はある発見をする。「何かと注意が散漫になりがちなこの世界において、読書はひとつの抵抗の行為なのだ」と。もう読書はそれ自体が、反逆的で革命的なのだ。"
— -CHUNICHI BOOK WEB-中日新聞・東京新聞に掲載された書評 話題の書籍を斬る! 『 それでも、読書をやめない理由』 デヴィッド・L・ユーリン 著/井上里 訳 時代に抗う行為の意義問う
"「正直言ってネットの助けがなければ書けなかった。しかし、ネットがなければ、もっと早く書けた。ネットは、ありあまる知識を与えてくれる一方で、惜しみなく時間を奪う」(橋元良明『メディアと日本人』)"
— -CHUNICHI BOOK WEB-中日新聞・東京新聞に掲載された書評 話題の書籍を斬る! 『 それでも、読書をやめない理由』 デヴィッド・L・ユーリン 著/井上里 訳 時代に抗う行為の意義問う
"小池一夫 さんの「主人公には弱点を。敵役には欠点を」という教えはシンプルですごいなと思う。書く側ではなく読む側からこれを書き換えると、「主人公は不足している。敵役はずれている」になるような気がする。
posted at 07:50:39
悪の組織を束ねているのは、たいていは素晴らしい上司だったりする。進捗管理に巧みで部下のモチベーションを引き出すのが上手で、自身には厳しく常に未来を見据える。部下もまた、強制などされることなく、自身の意思で「悪」に手を染める
posted at 07:52:14
悪の組織がブラック企業みたいな場所で、非情な上司に選択肢と睡眠時間を枯らされた若い人達が悪の手先となって最善に立たされているのを、火力にまさる主人公がなぎ倒したら、子供が泣く。これだと物語が成立しない
posted at 07:53:57
悪の組織はだから、末端の雑魚は特に、主人公にあっけなく倒されるに足る「悪」である必要がある。出来ればそんなことはしたくない、仕方なしに悪事を働く末端職員は、主人公は殺せない
posted at 07:56:21
物語の悪役は、だからどうやったって完璧な人材の集まりにしかなりようがない。素晴らしい能力を持った人たちが、高いモチベーションのもとに何かの目的に突っ込んでいく、主人公がやっているのは、もしかしたらプロジェクトX みたいな人たちを邪魔することに他ならない
posted at 07:58:16
悪役は必然として完璧で、だからこそ、悪役を物語に設定するのなら、彼らの目標には「ズレ」がなくてはいけない。どれだけ素晴らしい努力であっても、それが読者に代表される普通の人にとって迷惑だから、彼らは悪役と名指しされなくてはいけない
posted at 07:59:38
主人公には不足がなくてはならない。欠けているのは勇気であったり腕力であったり、人間的な魅力や、いずれにしても普通の人にはそれなりにあるべき何かが足りないからこそ、問題と対峙した主人公は、それを「普通に解決する」という選択肢が取れない。ここから物語が始まる
posted at 08:01:33
ヤクザやら、カルト宗教やらと対峙しした「普通の人」は、話しあい、住民投票を行い、警察を要請する。夜中にマスクをかぶって組織の本部を襲ったりしない。主人公は常に人として間違っていて、それにも理由が必要になってくる。理由は「不足」でなくてはいけない
posted at 08:02:48
主人公は、どんな形であれ「戦う」事になる。主人公にとっての戦いとは不足の補填であって、悪を倒すことそれ自体は、案外主人公にとってはどうでもいいことになったりもする。不足が埋まれば、物語だとそれは終盤だけれど、主人公には戦う理由もなくなる。今度は「普通にやる」ことができるから
posted at 08:04:19
主人公には不足に見合った「能力」が付加されることになる。文字通りの超能力でもいいし、火力であったり知力であったり。不足によって「普通」の選択肢を枯らし、能力によっていびつな選択に説得力をもたらす。
posted at 08:05:43
物語とは、普通にやるには何かが足りない主人公が、代償として得た何かの能力によって、悪の組織という問題を一種の触媒として、自身の不足を取り戻す過程であるといえる。普通の人には不足も能力も存在しないから、その有り様はいびつに見える。そのいびつさが物語の面白さになる
posted at 08:07:39
主人公には不足と能力とがある。不足に見合った能力の活かしかたをしている主役は魅力的に見える。不足をスルーして、主人公を単なる超人に祭りあげてしまうと、読者の共感が剥がれてしまう
posted at 08:10:01
たとえば「鼻がぎく」能力を得た主人公は、壁の向こう側に誰がいるのか考えたりしない。すでに分かっているのだから、それを思案したその時点で主人公は能力を生かしていないし、その能力に頼るほどには、実は不足が深刻なものではない。
posted at 08:11:23
犬並みの嗅覚を持っていたり、あるいは壁の向こう側が見えたりする主人公は、迷路みたいな場所を常に探して、相手をそこで迎え撃つやりかたに思案することになる。そもそも主人公は弱いのだから、完璧な人たちに打ち勝とうと思ったら、正々堂々と卑怯でないといけない
posted at 08:12:48
たとえば空をとぶ能力を持った主人公に、空中での索敵場面を与えてはいけない。そんなのはラジコンヘリでもできることで、その程度の活かしかたでは切実が足りない。空を飛べるのだからこそ、主人公はひたすらに地図を眺める必要に迫られる
posted at 08:14:15
空から相手を襲撃したところで、人間大の飛翔生物なんて、撃たれれば終わる。飛べることを最大限に活かすのならば、相手が回り道せざるをえない状況で、自身は飛んでショートカットできることが全てであって、「待ちぶせ」というえらく地味な戦法が、飛べる能力の正解になるのだと思う
posted at 08:15:30
主人公に与えられた不足は何か。それは物語を回す、いびつな選択を行うのに充分深刻なものなのか。主人公に与えられた能力は何か。主人公はそれを活かした、それに頼りきった戦略を考えているのかどうか。それに頼らなくてもどうにかなるなら、主人公の不足はまだまだ足りない
posted at 08:17:02
誰もがたぶん、与えられたカードで勝負するしかない。大抵の場合、悪役のほうがいいカードが揃っていて、その代わり主人公はジョーカーを持っている。
posted at 08:36:40"
— medtoolz(@medtoolz)/2012年05月23日 - Twilog
"はじめまして。
【最初からロードがいいでしょう】、の意見を持つ者です。
(略)
③経験上、思ったことは・・・
クロスを買うとロードが欲しくなる。
ロードを買うとクロスが欲しくなる。
クロスを買うとロードが欲しくなる、というのはなかば定説ですね。速いのが欲しくなる。
ロードのあとにクロスが欲しくなるのは、①の理由です。盗まれたくない。
盗まれてもダメージが少ないのが欲しい。
お気軽にあちこち停めてポタリングしたい。
結論:
妥協せずに高価なクロスを買った後のロードは、さらに妥協できない。
しかし、妥協せずにロードを買った後のクロスは、結構妥協できる。
最初に高性能なクロスを買ってしまうと、次にロードが欲しくなったときは、さらに高いロードが欲しくなります。
最初にそれなりのロードを買った場合。
クロスバイクが欲しくなっても、安いクロスで満足できます。
なのでロードがよろしいんではないかと。
長文失礼しました。"
— クロスかロードか: 自転車生活入門
"あらすじ ある夜、緑色の流星雨が流れ、世界中の人々がその天体ショーを目撃する。トリフィドの栽培場で働いていた主人公ビル・メイスンは、目をやられた治療のために入院して目を包帯で覆っていたため、流星雨を目撃しなかった。その天体ショーの翌日はビルの包帯を取る日であったが、朝起きて周囲の様子が違うことに気が付いた彼は、自力で包帯を取る。
流星雨を見た人々は皆、盲目となっていたのだった。ビルは、誰も目が見えず絶望に覆われたロンドンの街の中を歩き始める。"
— トリフィド時代 - Wikipedia
"そういえば、MXテレビのガッチャマン再放送を見たら、敵の中間管理職の人が部下に「作戦が失敗したら…」というから、てっきり「死をもって償え」とかそういうこと言うのかと思ったら、「くよくよせずに次の作戦にうつれ」みたいなこと言ってて、ちょーいい人っぽかった。"
— Twitter / @ume_nanminchamp: そういえば、MXテレビのガッチャマン再放送を見たら、 … (via ikeisuke)
(oosawatechnicaから)